2001/08/18・19 ASCS参戦報告

今年もASCSへ行ってきましたので
ツシマ少尉に報告書をまとめてもらいました。


ASCS2001参戦記
                        2001.8.18(土)〜19(日)
 プロローグ  「6年目」

 ASCSに参加して、はや6年が経った。5年目はすんなり受け止められたが、6年目と言うと、かなりの年数を感じる。初めて参加した頃のサカモト隊長の長男は、まだ口も聞けて無かった頃か。それがいつの間にか、見送る子供が3人に増えている。それも、「連れてって〜」とか「ボクも行く〜」とか、ややこしいことを言わないほどに成長している。隊長家の教育がいいのかもしれないが、ずいぶん時が流れたものだ。しかしながら、自分だけは、1回目の頃と、ほとんど状況が変わっていない。このレポートを書き始めて、改めて、のほほんと無駄に日々を過ごしてしまっていることに気が付いた。ASCSなんぞに行っている場合だろうか?

 例年どおり、動きの遅いArms編集部。ASCS参加マニュアルが送られて来たのは、日程も押し迫った4、5日ぐらい前であろうか。届く事すら忘れていた。読んでみると、ゲーム内容が随分変わっている。今まで、全てフラッグアタック戦オンリーだったのが、野戦病院ゲームとか、ブラックボックス回収ゲームとか、いくつも種類があって、相変わらず初心者魂の抜けきらない自分には、読んでもよく分からない。それも、どのゲームがどんな種類の内容なのかも記載が無い。これは一体、どうすればいいのか?と文句の一つも出そうになるが、よく考えれば内容が分かったところで、どんなフィールドなのか分からなければ、対処のしようもない。行けばわかることだ。
 それに、決勝戦が書いてない。リーグ戦ではないのだろうか。
 問題とされているのは「ゾンビ行為」である。このためにわざわざこしらえた文書がある。読めば、当然と思われる事が書いてあるが、これはASCSに限ったことではない。それでも一部の不心得者のせいで、トラブルになったり、後味の悪いことになったりするのを事前に釘を打つという意味では、少し薬になるかもしれない。

 事前の出来事と言えば、もう一つ。ようやく、わがまま突撃隊のパッチが出来上がり、ASCSに間に合った。これで我が隊も体裁が整って・・・と言いたいが、今年の参加は3人である。一時は6人まで膨れ上がった参加人数も、結婚・出産と言った事情で、半分まで減った。しかも、オータ参謀はその週の始めから、軽井沢にボーイスカウトのキャンプに行っており、それを早めに切り上げてもゲームは二日目からしか参加できない。出発は自分とサカモト隊長の二人だけ。実はワタシは8月に入ってから体調を崩してしまい、原因不明のめまいが続くので、ドクターストップまではいかないが、激しい運動は出来なくなってしまっている。ASCSをキャンセルすることも考えたが、サカモト隊長一人で行かせるのもしのびない。ムリはしない、という条件で参加することにした。多分、突撃は出来ないので、突撃隊とは名ばかりになってしまうが、やむを得ない。

  わがまま突撃隊のパッチも完成した

 出発当日も仕事だった自分は、隊長家に到着するやいなや、発進となった。子供2人が見送りしてくれる。デジカメで出発の様子を撮り、ついでに子供たちも写したり、子供たちにも撮らせたり、ごきげん取るのも大変だ。おかげでグダグダ言わずに、すんなり出発出来る。DHCの集合に合わせて、赤城高原SAに24時までに到着しなければいけないが、道中はスムーズだった。隊長家を出る頃には、カーナビの到着予定時刻が24時丁度だったのでヤバかったが、クルマがスムーズに動くと、予定時刻が刻々と早くなり、まるで時間を戻しているような不思議なカンジである。

 集合より15分ほど早く着いて、先に来ていたモッチー大将と合流。DHCがもう一台来るだけで全部らしい。やけに少ないが、残りは現地集合。のんびりする必要も無いので、とっとと向かう。三国街道沿いのコンビニで恒例の朝食・昼食の補給。峠越えではトレーラーが詰まってて、30キロでタラタラしてたり、ガスが立ち込めてたりしてたが、プリンスの駐車場に順調に到着。例年、大体このぐらいの時間に何台か来てるはずだが、全然クルマがいないので、もしかすると現地に入れるのかも、と言うことでモッチー大将が偵察に行くが、やはりダメらしい、と言うワケで朝まで仮眠。サカモト隊長のエスティマはシートがフルフラットになるとのことで(隊長のクルマが特別なのではない)、なんと真横になれる。駐車場の敷地自体が斜めなので、少し頭が下がり気味だったり、フルフラットとはいえ、デコボコだったりするが熟睡出来た。