記録係 ツシマ少尉 第一部 「出陣」 96年から毎年の夏のイベントとして参加してきたアームズマガジン誌主催のサバイバルキャンプ。 わが隊も小規模ながら、5度目の節目を迎えた。 98年から2年間部隊を共にしてきたシュバルツが来られないのは遺憾であるが、 先日、正式に手賀沼条約機構に加盟した我が隊は、今回、DHC、クラフトフェルト、フィールドランナーと共に、TPO連合軍として出撃出来ることと相成った。 高齢化のうえ、少数部隊の我が隊としては、非常に頼もしく、とにかく足を引っ張ることのないように頑張ろうと意思統一しつつ、臨んだのであった…。 しかし、である。初っ端から、道中、「出陣」にふさわしく、士気高揚の音楽を、ということで、スーパー戦隊全集のCDを取りに戻ったせいか、赤城PAでの集合に遅れてしまった。 夜に弱い筆者(ツシマ)は、その集合への道中で早くも睡魔に襲われ、赤城PAに着いたのも知らず、意識を取り戻した所は高速を降りて三国街道のコンビニ。 既に連合軍の面々に合流しており、食糧を補給、現地へ向かう。 夜間はフィールド前の駐車場に入れないため、プリンスの駐車場で朝を待つ。 我ら年寄は、徹夜してしまうと翌日ゲームにならない恐れがあるため、当然ここで仮眠となるが、連合軍の猛者たちは、朝まで語り合う姿が見られた。出動を前に士気も上がっているのだろうか。 こうして朝を迎えた我々は、着替えを済ませ、駐車場を後にする。 早朝ということで安心して迷彩服になってしまったが、何処かの大学か高校生であろうか、早朝からランニングなどの練習に励む学生達とハチ合わせになってしまい、 連中からは当然ながら迷彩服の団体の我々に奇異の視線が突き刺さる。 早朝という事で油断してしまったが、街中を闊歩するわけでもないので、大目にみてもらいたい。 陽も差してきて、ようやくスタッフからのOKが出て林道を進み駐車場へ到着。 ここからの荷物の搬入が、やはり一個大隊のものとなるとさすがに大変であるが、そこはさすがに日頃行動を共にしている連合軍の面々はテキパキと運び上げてしまい、我々はほとんど自分等だけの荷揚げで終わってしまった。 セーフティーエリアはどう言う訳か、いつの間にというぐらいのテントが既に張り巡らされており、我々は昨年同様、かなりの上方への設営となってしまった。 設営もこれは一苦労かと思っていたが、これまた大きなテントが次々と建っていく様はさすがである。 我が隊は今回初使用となる大型テントの設営に戸惑うも、ボーイスカウト率いる太田作戦参謀が瞬時にテントの構造を把握し、これまた何の問題も無く、設営できた。 なんと、底付きである。土足厳禁であるが、当然、余分な土地埃や雑草に悩まされることもない。 中も広く、4〜5人はゆうに寝られるほどのスペース。 風向きによっては風通しが悪い程度の難点はあるが、もし雨が降っても暴風雨でなければ十分ではないかと思われた。後にそれは実証されることとなる。 午前中は受付とレギュレーションチェック。 早めに済ませ、食事を採って消化してしまわないと、ゲームに差し支える。 何よりも、出師宣言式がある。今年は受付もレギュレーションチェックも、どう言う訳か空いている。 それどころか、未だに参加者が続々とフィールドに上がってくる。 もう、テントを張るスペースも無いと思っていたが、苦しい隙間を縫って、それでもテントが建っていく。 もはや、我々の陣地まで真っ直ぐ登ることも出来なくなっていた。一息つくと、いよいよ出師宣言式である。 タニー参謀長が綿密なシナリオを準備の上、何の練習も無く行うのである。 比較してはいけないとは思うが、シュバルツのそれが「儀式」風なものであるのに対し、連合派遣軍の式は、一応形式を保ったものの、どちらかと言えば士気を高める雄叫びのようで、TPO派遣軍ここにあり、という事を皆に知らしめたことに意味があったかのようである。 シュバルツがいない今回は、このように整然と出陣式を興行したチームは我々だけであった。 |